寝てりゃいいのに。自分。そして、自慢半分。
今日、たくさんの仕事を終えた後、最近の忙しさを考えたら、そのまま直帰して、普通に寝てりゃいいのに、家族を連れてカラオケに行った。
(花見は明日にとっておいて)
行動は間違っていると思うけど、何か、特に、この季節もあってか、ボロボロでも、家族との共有した時間を持たなきゃと、思ったのだ。
こんな時、今は家業はすたれてしまったけれど、そのときのような、自宅兼、事務所というのも、アリなのだろうなと、ふと思った。そうすれば、家族とももっと、ちかくにいれるし、解消出来る事がたくさんあると。
まったく、絵空事なんだけど。
ただ、仕事が来なくなるんじゃないかという、初歩的な理由も大きく、実行に移せないだけなんだろうと思う気持ちがただ、ブレーキにしてるだけのようで。
ちょっと、自慢ぽいけど、実家は、元々、和裁を家業としていた。
祖父は名人と呼ばれていて、神業を持っていて、僕が生まれる前は、日本橋(呉服箸でないところがミソ)で修練して、三越経由で、指名で、昭和天皇を初め、皇族から、財閥の仕事を請け負っていたそう。
商売が上手ければ、現在のエルメスとまではいかないが、それなりの方法があっただろう。
この辺の才能のなさが、血かな。(笑)
散財してしまったそうです。
理由は、あまりにもプレッシャーが大きく、特に天皇の(通常、着物は来てなかったというが、実際はそうでなかったらしい。型紙も叔母のところへしています)着物を縫うというのは、当時では、神に触れるような事だったそう。
納品が終わると、後先考えず、ギャラより多く呑んでしまったり、金魚屋の金魚を全部買ってしまったり、貨車で運ばれて来たニワトリを一両分買ってしまったり、自宅の前でいきなり、学(小卒)や知識もないのに、マルクス主義を沿道でアジって、警察からすると勘弁して欲しい行動に走ったり、乞食が普通に一緒に生活してたり、身寄りのない子供を、自分の子供達と同様に、一緒に育てたりしていたそうです。
(まったく、行動に一貫性がなく、ただ、皇族の着物を作っていたという現実が、刑務所へ向かわせなかった岳の話のようで。)
僕の記憶の一部でも、皇族の着物を縫う時なんて、部屋中に白い布で被い、他人は入っていけない聖地らしい感じは伝わってました。
ある時から、東京を離れ、埼玉の田舎に移ったそうですが、それでも、お客は、わざわざ足を運び、どうにか作って欲しいというオーダーがあったそうです。
最終的は、アルコールでこの世を去ったのですが、明治の男は、破天荒で凄い。
良く覚えているのが、針のピッチの強さが一定で」ないところ。
それには、理由があって、着物を着て全速力で走れなければいけなかったそうな。
ある部分が、動かないようにがっちり縫い、ある部分は、ゴムのように機能を果たす縫い方をしていたらしい。
まったく、フォーマルなスーツの作り方と、一緒。
こんな進め方なので、生活費は何処にもなく、あるのは、借金ばかり。
祖母の努力で、普通の和裁をたくさん引き受けて、それを、仕上げる為に生徒を雇い、
なんとか、生計を立てていたそう。
そんな事は僕には出来ないが、将来、自宅兼、事務所というのは、自分が過ごして来た環境なので、将来、いつかはそれが自然に来るかもと考える。
また、僕の血がもっと祖父の影響を受けていたとしたら、北京美大の1ヵ月の講師も躊躇わずに、話も進めただろうし、僕が背負っている、様々な大変と感じる事も軽々とやってしまうのだろう。
また、祖父に商才があれば、僕はいまごろ、「華麗なる一族」だったかも。(笑)
もしくは、新しくそんな商才が僕に芽生えていたらら、また違った人生が待っていたと思う。
(そんなの、うらやましくないけど。)
それでも、ある時期、ニューヨークでは、突風のごとく現れたデザイナーで、名が通っていたし、現在も、ロンドンでも、イタリア、中国、スェーデンでも、妙に拡大解釈にしか思われない程、人気があったりする。
また、MoMAを始め、世界中の美術館や、博物館からパーマネントコレクションに答えてきた実績があり、ただ、ありがたいと思っている。
しかし、ホント、評価への、内外価格差が良くわからない。
商才はなかったとしても、ただのアホが良くここまできたものだと、自分でも思う。
血が濃いかなぁ?
まぁ、実際には、ほとんど、興味のないところだけれど。
エイプリル・フールだけど、嘘じゃないよ。(笑)