写真を消してしまいました。

2013 年 12 月 19 日

もう、随分経つのですが、写真を消してしまいました。それが、きっかけというわけではないのですが、ブログへの書き込みがあ、激減。なんとなく、FACE BOOKでいいかな?と思っていたのですが、気を取り直し、そろそろ、復活しようかな?と、思っています。すぐには、いかないような、気がしますが(^^;

血は水より濃いらしい。

2012 年 9 月 24 日

僕に限らず、自分の家系を知りたい。別に、欲求でもなく、単に自分のルーツは?ぐらいにしか思わないのですが。

僕の、もう亡くなってしまった伯母さんが、調べたらしい。

僕の、祖父の出身地までしか分らなかったと。

僕の祖父は、職業においては天才的であったけれど、アナーキストという事は、僕は、祖母の話しから、実際の自身で知っていた。

丁稚奉公で、東京に来て、その職業で登りつめたけれど、震災で追われ、今の僕の実家へ辿って来た事だけ。

貨物列車に運ばれて来た鶏が、かわいそうと、全部買い取ったり、行商の人のいろいろな商品を全部買い取ったり、身寄りのない人の世話は、僕の日常でさえ普通だったし、乞食が庭先に住んで居たりした。学もないのに、左翼的な演説を駅前でしてしていたり。。。

このような事は、明治の人には、特別ではないらしいけれど、特に金銭面で、家族は勘弁してもらいたかったらしい。

僕は、おばあちゃん子だった。

父親は公務員なのに、すぐ怒るし、とにかく恐かった。

母親は、僕の目から見ても、いつも朝早くから深夜まで仕事に追われれ、子育てまで、なかなか手が回らなかった。

朝ご飯は、自分で用意していたけれど、いつも鰹節を削るだけ。今も、食卓にたくさんの料理がある事が妙に罪悪感のようなものがあるのは、そんな簡単な理由だと思う。

田舎育ちだったけどテレビがあったせいで、東京の豊かな世界に憧れていた。でも、自分の居場所と、都会の世界は、遠い星のような気がしていた。いろいろな欲があって、一度だけねだった。そして、諦め癖がついた。

なんとなく、今思うと、その時点に決定されていた事がたくさんあると思う。泥棒にだけは、ならなくて良かったけれど。

家から100メートル先の駄菓子屋へ欲しいものがあって、多分5円玉を10個くらいを握りしめて、向かったけど、途中でこけて、手のひらにあったお金が、まるでレールがあるように並んでどぶに落ちて行ってしまった。

おばあちゃん子だったけれど、僕の手相を見て、「お前は、泥棒になる。そして大人になると、ずっと苦労する。」と、言われた。

手相なんて、見れないくせにと思いつつ、「自分の、これからの人生は憂鬱なだけか〜。」と、思った。

あれから、40年くらい。なんか、あたっているなぁと、今更ながら思っている。

僕の、おじいちゃん。台風で、川が欠壊して、全て流されちゃったらしい。その時、家から離れたくなく、救助が来ても屋根にずっと居座ったらしい。

めちゃくちゃ、がっかりしたんだと思う。

昨日は、清水穣さんとの対談。

2012 年 6 月 17 日

清水穣さん。

天才で、ペンを持ったらカミソリのような方ですから、ドキドキ。しかし、無防備で挑みました。

あのやわらかい接し方と、場所の雰囲気でなめらかに言葉が出てきました。

デザイナーの批評を書く前は、書く事が出来るか分らなかったとの事。「作家というものは、何かに捕われている。中島英樹も作品を観たら、まぎれもなく作家で、自分には見えない檻のなかにいる。」という言葉が、もっとも惹きつけられました。

終ってみたら、凄く楽しかった!!!

東京ADCの「中島(嶋)」のなぞ。

2012 年 5 月 27 日

毎年この季節の3日間、かんずめになって行なわれる東京ADCの審査会が終った。やっと、終ってホッとしています。東京ADCに入会するには、2年に一度、実力だけが基準にした厳しい投票と審査の上、選ばれたものでなければ入会出来ない。結果、そんなエリートの集まりです。(しかし、そんな単純な話しではまったくないのだが。)組織というものは、多少の何か問題はあるのは、当然だ。特に、このような会の一番の悪いところは、「自分の権威を守り、維持する為のあつまり」という、よくあるパターンで最悪である。しかし、この会は、それが、かなりない。

また、入れない人は、ネガティブな、やっかみを言うようになっている。同業者で、そんな事を言うのであれば、中から言った方が良いと僕は思う。もしくは、同等の実力を持っていれば。審査会では、それより厳しさの方が優位になっている。(ほとんど)政治もないし、仲が良かろうが、票、入れないし。むしろ逆で、大先輩が自分の一票しか、入ってなかったという事は、毎年の恒例であるし、また全員だったりする。

運営も大変である。小さな会の特徴であると思う。78人のメンバーの年会費と、年鑑の売り上げと、その広告収入だけで、成り立っているので、ギリギリ。 もちろん、国からの援助はない。審査への足代も出ないし、お弁当も普通だし。。。

だいたい僕は、エリート主義じゃないし、権威も嫌いなので、もし、そのような会であれば、とっくにやめている。もっと、言えば、なんだか、偉そうに見えてしまうし、敷居が高く見えるし、で、僕なんて良い事なんて何もない。

僕は、ただ、新しい才能を見たいだけである。

そして、本題? 今年新しいメンバーが増え、「中島(中嶋)」の姓が、4人になった。中嶋祥文さん、中島信也さん、僕、そして新人の中島貴久くん。たった78人のメンバーだけで成り立っている会なのに、「佐藤」と並んで、4人になった。また、長島りかこちゃんも入ってきたので、なおさら、ややこしい。不思議だ。なかじまという姓が、この世界で優秀というわけでは決してなく、たまたまの事なのですが。

ナカジマという言葉が聞こえると、みんなが、顔を向けてしまう。

振り返り過ぎて、首、痛いよ。

「中島英樹1992-2012展」とうとう、明日に!!!

2012 年 5 月 18 日

大和プレス ビューイングルームのオープニング、とうとう明日!!!

人生でも、大きな分岐点。

本来、僕の戦場は、書店やCDショップ等、いわゆる大衆の中がほとんど。

そえは、大衆と消費が、どう結びついているかという事、

また、所有欲を満たされるだけの、何かを提示するという事。

早く言えば、そんなサービス業。

僕は、アーティストではない、たかだかデザイナー。

だから、素顔のままでいようと、新作は作らなかった。
ここは、現代美術の聖地の一つの場所。

オーナーの佐藤辰美さんの要望に、正直に答えました。

今回は、本当にそんなアウェイ戦。

震えながらも、怖じ気づかないようにしている。

同時に身分不相応とも、感じる。

6月25日、発売の本も全仕事を惜しげもなく、あからさまにする。

それは、厚さはあれど、基本切手のカタログのように作った。

原稿も、清水穣さん、保坂健二朗さんという、僕からしたら、アウェイ戦の一番の強敵の方々。

展覧会は、関係者しか、入場する事はできないのだけれど、

この、僕の態度や姿勢が、たくさんの美術界の住人の方々にさらされてしまう。

ぼろくそに言われようと、何言われようと、かまわない。

無視だけしなければ、OKと静かに思っている。

踊り場には出た。
そして、次のステップだ!
今、ゴングがなる。
相手は、強すぎるし、見えない。
戦えるのか? 自分!!!!