血は水より濃いらしい。
僕に限らず、自分の家系を知りたい。別に、欲求でもなく、単に自分のルーツは?ぐらいにしか思わないのですが。
僕の、もう亡くなってしまった伯母さんが、調べたらしい。
僕の、祖父の出身地までしか分らなかったと。
僕の祖父は、職業においては天才的であったけれど、アナーキストという事は、僕は、祖母の話しから、実際の自身で知っていた。
丁稚奉公で、東京に来て、その職業で登りつめたけれど、震災で追われ、今の僕の実家へ辿って来た事だけ。
貨物列車に運ばれて来た鶏が、かわいそうと、全部買い取ったり、行商の人のいろいろな商品を全部買い取ったり、身寄りのない人の世話は、僕の日常でさえ普通だったし、乞食が庭先に住んで居たりした。学もないのに、左翼的な演説を駅前でしてしていたり。。。
このような事は、明治の人には、特別ではないらしいけれど、特に金銭面で、家族は勘弁してもらいたかったらしい。
僕は、おばあちゃん子だった。
父親は公務員なのに、すぐ怒るし、とにかく恐かった。
母親は、僕の目から見ても、いつも朝早くから深夜まで仕事に追われれ、子育てまで、なかなか手が回らなかった。
朝ご飯は、自分で用意していたけれど、いつも鰹節を削るだけ。今も、食卓にたくさんの料理がある事が妙に罪悪感のようなものがあるのは、そんな簡単な理由だと思う。
田舎育ちだったけどテレビがあったせいで、東京の豊かな世界に憧れていた。でも、自分の居場所と、都会の世界は、遠い星のような気がしていた。いろいろな欲があって、一度だけねだった。そして、諦め癖がついた。
なんとなく、今思うと、その時点に決定されていた事がたくさんあると思う。泥棒にだけは、ならなくて良かったけれど。
家から100メートル先の駄菓子屋へ欲しいものがあって、多分5円玉を10個くらいを握りしめて、向かったけど、途中でこけて、手のひらにあったお金が、まるでレールがあるように並んでどぶに落ちて行ってしまった。
おばあちゃん子だったけれど、僕の手相を見て、「お前は、泥棒になる。そして大人になると、ずっと苦労する。」と、言われた。
手相なんて、見れないくせにと思いつつ、「自分の、これからの人生は憂鬱なだけか〜。」と、思った。
あれから、40年くらい。なんか、あたっているなぁと、今更ながら思っている。
僕の、おじいちゃん。台風で、川が欠壊して、全て流されちゃったらしい。その時、家から離れたくなく、救助が来ても屋根にずっと居座ったらしい。
めちゃくちゃ、がっかりしたんだと思う。