写真家のブックの見方。
写真家のブックの正しい見方が分からない。
自分なりの決め事はあるのだが、正式に修練した事もなければ、僕の修業時代の師匠は、働くフロアが違っていたので、どのように見ていたか分からない。
結果、自分なりの勝手な解釈で見方をしてきた。
もちろん、それになりの、本は読み、経験値を高めた。
今までに新人そして、内外を含めて、ジャンルも分け隔てなく、おおよそ1000人以上の写真家のブックを目にして来た。
少なくとも30分で、平均1時間。長いと最長半日見て来た。
数字にしてしまうと、簡単に見えてしまうが、根気にいる仕事だ。
仕事に集中する事が何倍も生産的であるから。
しかし、そうしてきなかった事にいくつかの意地にも似た、理由があったからだ。
前にも、そしていつも思ってる事に、もし、仮に日本にブルース・ウェーバーが生まれていたとしたら、現在の彼に至っていたのであろうか?という素朴な疑問からだ。
彼は、雑誌というメディアを通し、表現を確立してきたから、通常の写真界の風潮とは違う方法で、ここまでたどり着いた。
それには、いくたの雑誌というメディアがあってこそ、到達しえた場所であって、僕は、日本でも、雑誌を通してそのような人材が生まれるようにと探してしているのが、本音の一部になっている。
必ず、そのような資質の人がいると思っていると思う。
それは、僕が発明した訳ではなく、もう、僕が生まれる頃にすでに存在していた、ニューヨークのハーパス・バザーという雑誌のADでブルドビィッチを手本としてると思う。
彼は、簡単に言うと、雑誌の世界にアートディレクションという、今ではなくてはならない、立場を作り出し、元々アート指向のアベドンやら、ペンを雑誌の世界へ引き寄せ、まして、ロバート・フランクへさえも、宿題を出して来た人。
僕は、その幻影を辿っているような錯覚を憶える。
10年程前は、闇雲に写真を共有しようとしていたが、現在、そのような人材を育てた実感がない。
時代もあるし、僕の指向が微妙に変化してきてる事が大きいのだろう。
写真家と共犯関係を結んで、作り上げる写真は、ほとんど残らないと感じるようになってしまったからだ。
写真家、自らが考え、撮影してきたものの方へ、何倍も魅力を感じるし、実際、残って行く。
だからだろう、僕の雑誌での写真のアートディレクションは、とても簡単になった。
一番は、写真家のキャスティングがキモだろうと思っている。
写真の仕上がり感は、写真家と話しながら、決めて行く事が多くなった。
また、現場が好きなので、現場で思わず起こった事を捕まえようとする。
そして、突飛なアイデアよりも、直球のものがほとんどになった。
しかし、それは、けっして後ろ向きの姿勢になった訳ではなく、写真が好きで、辿り着いた方法で、実は真似が出来ないと思う。
幸い、見る目を養ったせいか、また、僕のパブリックイメージがそうさせてしまうのか、写真家はディレクションの言葉が少なくとも、良く汲み取ってくれる。
そして、僕の目から見えないものを、見せてくれる。
もしかしたら、こういう方法が、雑誌のディレクションにおいて、もっとも現代的と考えている。
雑誌から離れると、この2年間だけでも、幾多の写真集を手がけて来た。
ホンマ・タカシ、港千尋、尾中浩二、小野浩、 本山周平、半沢克夫、野村恵子、松江泰治、鬼海弘雄、米田知子、今井智己、増岡剛増、野口里佳、篠山紀信、川内輪子、古屋誠一、石内都、大和田くん、平間至、ビンセント・ギャロ、徐美紀、梶井照陰,ミッチ・池田、有賀幹生,
在本やよい、ビッグマウス。
以前手がけた、森山大さん、荒木さん(カレンダーだったけれど)や、吉永マサユキさん、佐内正史君、マーク・ボスウィックも含めたら、我ながら凄すぎる人達だ。
これらの写真には、ほとんどディレクションは入っていない。
しかし、ただ、レイアウトをしているわけではない。
僕がデザインする事によって、何かマジカルなようなものが働く。
それは、ほんのちょっとした事なのだけれど。
また、彼等とは、なかなか雑誌では共にしずらいけれど、僕の一番好きな写真の姿は、ここにあるのでは?と感じている。
高橋恭二さんを手がけていないのが残念です。
それにしても、写真は写真家以外のディレクションが入れば入る程、写真から遠のくのは何故だろう。