汚い床に落とした麺。鍋に戻すな!
石内都さんの最終校が無事に済んだ。
同じ版でも、紙や印圧によって、印象がまったく変わる事。
経験40年のベテランプリング・ディレクターでさえも、僕の幾多の経験さえも、
頭の中では、変化がおこる筈のない、理論的なものであるのにかかわらず、そんなのは、まったく、あてにならない事が起こった。
しかし、結果は素晴らしいものになったと思う。
結局、印刷は、オリジナルプリントとは、まったく違う訳であって、見方によっては、答えはいくらでもある。
写真のプリントやポジと印刷のプリントはまったく、紙から、白の色までまったく違うため、別の価値判断をもってくる事が必要。
その為の、一つの方向性を決め、本の仕上り感を頭にイメージし、最終的にバラツキのない方向にもって行くように制作する事が、僕の仕事。
なので、見開きのページがお互いオリジナルに近い場合であっても、いざ、並べてみると統一性がない場合が起こる。
さて、どうしょう?
そこをどちらかを、一方に合わせるようにしている。
一見妥協に感じるが、本という媒体である場合、その方が良い場合がほとんどだ。
写真も未練なら、印刷も未練なのだ。
今回も、上手く行った。
これから、本来の印刷にかかるのだが、石内さんも喜ぶ顔を想像する。
それにしても、印刷は何度やっても、難しい。
ほとんどの人は、全てを写真通りにという、もっとも分かりやすいが、実は、もっとも、不可能な注文。
これは、原因がはっきりしていて、印刷のマジカルな部分を分かっていない無知からくる。
あたりまえに見えて、実は、まったくおかしな事になる。
それは、実は、なんでも、かんでも、どうでもイイような、拘りという仮面をかぶった、妥協の産物。
ま、そういう人は、プリンンティングディレクターを指名せず、営業だけと、話をしちゃうから、ケンカもなければ、絡まった糸のようになって「しょうがない」と諦めておしまい。
マンガか?
自慢じゃないが、自分は、この目で、オリジナルより人を感動させる、本を幾度も作り上げて来た!(もちろん、本という枠組みの中の世界であるし、PDの力をかりている)
何度もいうが、富士そばや、デニーズの料理人で、ガンコ者がいたらギャグ。
同じく、何十年もそこで働いても、何の修行にもならないし、経験値も上がる訳がない。
誰が作っても同じような仕上りになるように出来てるから、もし、僕が明日から厨房に入ったとしたら、もうその日から、ベテランかも(笑)
たとえば、真に拘りのある人であれば、麺の素材や水へのこだわり、季節やその日の状況による条件が、作り方を無数に変化させる事を知っている。
だから、いくらか不安定になる。
食べる側も、舌が肥えていると、それも楽しむ事さえできる。
文化だ。
先日、ある、ラーメンやに行った。
汚い床に落とした、何本かの麺を、おばちゃんが何の躊躇もなく箸でひろい、人の目を気にする事もなく、当たり前のように寸胴鍋に入れた。
(という事は、その後のラーメンは、床の不潔な何かがとけ込んでいる。(泣)
こだわりなんて、時間のロスで、金が掛かって仕方がない。
知らぬが仏。みんな気にせず、はやくて、おいしいと人気だよ)
別の店だけど、ママレモンの味がしたごはんの時と同じ印象。
気が狂いそうになった(泣)