古屋誠一さんの夢をみました。
なんとなく、いつも、心の片隅にひっそり感じている、古屋誠一さん。
古屋さんがいるグラーツ(今は?)のどこかでたくさんの人に楽しそうに囲まれ、僕は、遠巻きで見ながら、しかし、岡野さんに手を引かれ、すこしだけおしゃべりを。いつも、思うんだけど、古屋さんに限らず、僕の知り合いの方、言葉をたくさん交わさなくても、なんだか、。深いところへ連れていってくれる。
元気そうだった古屋さんが、いただけで、僕には充分嬉しかった。
夢だったけど。
多分、バラを見たからなのかな?思う。
古屋さんに連絡出来ない状態が続いていて、なにか、僕の大切な何かがいつも、欠けていると思う。春まで、続いていたブログのなかのカレーを食べる写真に写る、本は、僕が送った、講談社現代新書の「人類進化の700万年」。
僕がアートイットで掲載しているビューインレヴューのお盆の時に少し触れた原稿を掲載します。
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「時の宙づりー生と死のあわいで」展
さほど、遠くない過去。
その時、僕は、まだ40歳に満たない妹を失った。
闘病生活に苦しんでいた事は、耳にはいっていたが、なかなか、実家への足は重かった。
それが、虫の知らせというか、胸騒ぎがして、亡くなる前日に一人実家へ向かった。
病名に対することは耳にしていたが、目の前にすると、そこから伝えられていた事とほど遠くなかった。
同時に、「これほど美しい瞳」は見た事はないという美の結晶と共に、
ろうそくが消えるように、あっと言う間に、半日ほどの時間と共に消えていった。
僕は、普段では行なわない、小さな仕草で手をさすったり、握るしかない行動とかした。
同時に、ほんとうの時間より、ただ、ゆっくりと流れる時間が過ぎていく事を、覚えている。
同じく、僕は、こみ上げてくる感情を維持出来なかった。
しかし、実家の家族は、僕と違い、常に近くにいたから、なおさらなのだろう。
こみ上げてくる大きさ量や、質が違っていた。
「遺影」とか、「形見」とか、それは、現在の写真における大衆性とは、まったく違った、
ただ、記憶の近くに置きとどめたいという、衝動のカタチなのだろう。
何か、残された大きな何かを共有なのか、また、預かっているかのような。
現に、日常のスピードが速く、記憶の方が、速く消え去る人も今は多いと思う。
僕がこの展覧会と、そして、併設のヴァンジ美術館で、古屋誠一さんの再編集の展覧会を見たのは、ちょうど、お盆の時。
家族や近しい人にしか、分からない思い出がたくさん止まっいる。
忘却しようとも、そこから離れまいとする原始的な感情が、写真と同居している。
それは、先天的なものだ。
現物を見ないと、ほとんどが、知らない発見ばかりで、自分の無知を知らされたし、
もっと言えば、それさえも、共有できない。
しかし、僕が、知っている感情とは、地続きで、それを否定するものでは、全くない。
僕の妹も、僕の中では、記録や記憶や、印象から、少しづつ色あせて、僕側の残したい側のエゴとして、多分そう大きな違いもなく生きていると思う。
そして、家族と子供達二人は、あの美しい庭園で、天国にいるかのように、
何の抑圧もなく、時間を忘れ、大声ではしゃぎ駆け回っていた。