単純な寄付金の弊害。
以前も話しましたが、友人がウガンダと、エチオピアへ旅をして、その人々のやる気のなさを嘆いていました。
ウガンダは言わずと知れた歴史があり、エチオピアも内戦で混乱した状態が続いていました。
問題は、そこへ、世界から、あまりに無頓着で無防備な「善意のカタチをした」、寄付金が集まり、結果、それぞれの国民が労働の意欲をなくし、間違った方向へ向かいすぎたのだと思う。全てではないが、通常よりも、弊害が起こらないようにと、見はっていたのにもかかわらずである。
友人曰く、ウガンダは、やるきがなく、話し終わると、何故か、「金くれ」(英語で話しているので、かなりのエリートである事が推測出来ます)になってしまうそう。
また、エチオピアはもっと、過酷で、2歳児から老婆までが、話をする前から「金くれ、金くれ」と露骨で、それも限られた人だけでなく、町全体が、スパイがのようだったそうです。また、普通どんな国でも田舎へ行けば、素朴になるのに、全く逆の現象で、より「金くれ〜〜」が露骨になったそうで何をしても、無理だったそうです。
我々は、何かというと、寄付金というカタチを取り、まるで、被害者の見方についた見識者の側にいると勘違いします。
しかし、実際は、まったく、逆の事が起こっており、実は、混乱の種を撒くように、加害者に加担しているといえなくないのです。
働くなくとも、勝手に金銭が手に入り、結果、労働の意欲をなくし、このような事態になっているのです。
さほど遠くない過去の中越地震でも、寄付を受けいれない自治体が現れました。
(確かモノに限っていたと思うが)寄付を受付けなくなった理由は、必要なくなったカビの生えた洋服やダニだらけの布団、賞味期限切れの食料やクスリ。また、粗大ゴミに出すには、お金が掛かるので、それなら寄付をしてという、普通に考えると善意にしかみえない行動によってです。
送った人の心や顔を想像すると、なんか、良い事をしたかのような、晴れ晴れとして、もっと言えば、良い事をしたと涙ぐんでいたように想像します。
しかし、なんども繰り返しますが、それは、相手側からしたら、ただ、暴力的な行動でもあったりするのです。
僕が見たテレビでは、「寄付された側が、すまなそうにしているが、しかし、もう、頼むから勘弁してくれよ〜」と受け取れる映像でした。
労働の対価として、金銭が手に入るという事が、必要で、僕の友人はそのようなNPOに属し、本来あるべき姿で行動をしています。
寄付が全て悪いというわけではありません。
しかし、こんなトリックが世にはびこっている事をしらないと、ただのアホな偽善者になるだけです。
先日、火事を野次馬になって見ていた自分と重ね合わせます。
構造はちょっと違えど、自分こそが、偽善者そのもの!
それに、ちょっと、血が踊っていたし。
地球の縮図でもあり、自分こそ当事者なんだと反省。