嘘つき、おばぁちゃん。
小学校、1年生の夏休みに宿題で、絵日記があった。
夏は日が長いので、何時頃だったか覚えていないけど、朝早く、おばぁちゃんに起こされた。
指差す方向を見ると、それは、雲の上を、たくさんの神様が次から次へと、ゆっくりと列になって歩いてくる光景だった。
興奮して、あの神様は誰? と何度も何度も聞いた。
そして、それでも、家族はまだ静かに寝ていた。
2学期の初め。
絵日記の提出の時になんとなく、ゆるやかに自分の絵の説明の時間があった。
友達は、「神様なんか、いないぞ!」 とちょっと誇らしく、語った。
先生はなんか、どっち付かずのあいまいな返答で、僕はイライラした。
いないわけないかったから。
その絵はもう、何処にも残っていないけど、なんとなく、脳裏に収まっている。
今にして思えば、ただ、台風前の雲が激しかったので、そのように見えただけなんだけれど、随分経つまで、刷り込まれたように、覚えている。
僕の中での、おばぁちゃんのウソの名作は、「渡り鳥は飛んでいない」というものだ。
渡り鳥は、天高く登って、地球は自転しているから、下を見てこの辺だろうと思ったら、ただ、降りるだけ。
という、なんか、辺な説得力もあるけれど、ただの妄想でやけっぱちで、教育上にもあまり良くない話。
また、何かというと、良く手相を見られた。
答えはいつも同じで、「英樹は大きくなったら、苦労するなぁ。生命線もここで途絶えそうになってるから、中年頃に大病になる」という、暗い未来のガッカリする話や、「英樹は、泥棒になる」という、かなり飛躍した、そして、断定的な、哀しくなる話。
こっちは、子供なんだけど。
だから、時々、泣きそうになると、慰めからか、何故か梅酒か、養命酒を飲まされた。
(おじいさんが、アル中で亡くなっているので、梅酒は甘いし、僕も血を引いてるから、好きに決まっているという、ただの憶測だけのデタラメな話)
そんなせいもあって、実家では、お酒に関しては寛大で、何故か、高校生の頃、授業中に二日酔いでボロボロの時もあった。
先生になんか言えよとも思ったが、許されるキャラクターのようで、何も言われなかった。
(酒の力で、諦めて? いたのだろう)
そして、そんな話をたくさん聞かされても、そういうのは嘘というか、妄想は、ありえない事と知ったのは、かなり、遅くて、20代まで信じていたものが、たくさんある。
泥棒になるという予言は外れたが、中年になって大病になるという予言があたったらどうしよう。
今日も禁酒だ!(笑)
それに、もしかしたら、未だに信じてる事も多いかもしれないと感じる事がある。