デザイナーが、いくら社会的と言っても、
同業者同士で、会う事は、かなりすくない。
例えば、いけすの魚が意味合って水槽が分かれているように、そうなっている。
だから、不審者は攻撃されるのは、道理だ!(笑)
良く、攻撃されるたび、防弾チョッキを〜と思うのだけれど、
面倒くさいので、今のまま着ないだろう。
今日は、ある撮影で、普段はしないそんな話をした。
ほんとに何かの機会がないと同業者同士、会う事は少ない。
(もっと少ない業種もあれど)
また、われわれは、まだ若いつもりだけれど、どうしても、ある年齢にさしかかると、人生を経験して来た事の対し、特別にやましいいことしていないのに(ちいさなやましい事はたくさんあるけれど)、なぜか、後ろめたい気持ちがわき上がる。
なんじゃそりゃって話なんだけど、事実だったりするから、しょうがないようだ。
僕は、よしもとばななさんの日記を勝手に教訓としている。
日記を読むだけでも、凄まじい頭と目で、本人の解釈が常に命中する!
そして越境も、ふつう。
あのような高い境地から見た風景を想像する事が常になっている。
想像するだけで、そこへ至る心のブレぼなさに、ほれぼれしてします。
そしてそれは、美しい事と深く結びついていて、強者も弱者も同等に解釈するという、
すばらしい力をもっているから、あれだけ引き込まれるのでしょう。
ハッキリ言って、場所は違っても、同じ時代を過ごして、あんなに安堵する人は僕の中にはいません。
ヒロチンコさんが、うらやましい!
僕の、最近のブームは、「徒然草」。
あんな風に生きて行けたらと思う。
僕らだけだからか、自分のそれまでのおこないがそうさせたのか解らない。
反発なのか、引力なのか、磁石のように、「無情」というものに惹き付けられる。
昨日の話の内容はそのような事だったかのように思う。