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Hideki NAKAJIMA: Blog» ブログアーカイブ » 続き。

続き。

今日は、かみさんが気を使ってくれて、僕が最近休みが取れていなく、休息が必要だろうと、一時、子供達と実家へ帰った。

ひとりでいると、昔から決まって考え事をしてしまう癖がある。
実は、普段からそうなんだけれど、ひとりでは1メートルだけ深く考える。
それは、やっぱり表面的で、自分勝手な事なのだけど、癖だからしょうがない。

昨日の北島さんの写真展。
平行に考えていた事が、古屋誠一さんの写真と北島さんのパンフォーカスの風景写真の縦方向のビルにパースをほとんど感じられないの事。

こんな思いは、お二人に失礼と思うが、謎だからしょうがない。
それは、媒介というか、イタコがいるというか。
もっと、言えば、写真がそうであるか。

そして、肝心な事を書かなかった渋谷さんのコトバをしようと思う。
それは、「僕が思う、音楽と写真の共通する関係」の事。

渋谷さんのコトバをまたまた、勝手に引用すると、

「音楽は、お互いに、あまりにも他者に対し意味性が希薄である」
「文学や映画等は、始めから意味性が強く、批評しやすい。
その分、音楽は希薄な分だけ、批評が困難である」

僕も全く同じ事を思う。
そして、
「多くの音楽批評が、言い訳っぽいのも、その為だ。
どうしても、音楽の中の意味的要素のみを論じてしまうから。」

音楽を、写真と言い換えても、繋がると思う。
分かってもらおうという気持ちが抽象性をなくし、表現としても高度でなくなる。
多分、写真も音楽も生理的であり、訂正が出来ない事が高度である事に起因しているように思う。

音楽や写真に限らず、文学も詩も建築もダンスも、あらゆる芸術表現は、どのように解釈してもOKだ。
ただ、こう見て欲しいと誘導した時点で無粋だ。

しかし、それでも、道筋が根底にあり、「絶対的基準」があれば、必然を感じる。

好き嫌いを否定はしないし、それは、むしろ正しい。
しかし、裏付けがあってこそだ。
もし、見る目があるのならば、そう思う背景が、やはり「絶対的な基準」として存在するからだと思う。
仮にそうじゃなかったら「写真家も存在しないナルシスティックな、3分間写真」と「プロが撮った、気迫の込められたもの」も、逆に「何気ない無意識のポートレート写真」を、同日の論で語られてしまうと思う。
ここの無意識の無は、無であって、矛や霧、そして夢でもあると思う。
どちらにしろ、瞬間は無意識だ。

個人的な無責任な発言ですが、僕は、「悪い写真なんてない」と思う。
しかし、それは、「良い写真とは、全く違う」のだ。
なぜなら、それは創作ではないし、僕が撮った写真は創作ではない。
(だいたい、携帯写真の進化で、日本で一日1億近くの写真が撮られるようになったと思う。そして、それは、ほとんど悪くないが、無駄だ。)

と、また、無知な写真論???をぶつけるなんて、さっきの反省はどこにいったやら。(汗)
気を使ってくれた、かみさんに申し訳なく思う(TT)

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