やっぱり。
なんだか、キツク、辛い仕事が、まだ終っていなく酸欠状態。
それは、関係している人が、同じように思っている事。
お金を貰っている事という事は、それより、少し等価以上のお返しをする事と思っている。
引き受けるという事は、そういう事だから、どうしたって、大変に決まっている。
春のサクラのニュースも、きっと、あまり聞こえなくなってしまうのも無理ない。
今、僕は、ただ、ただ、悲しい。
少し救われるのは、自分が、滑稽であった事。
そんななか、面接の人選を考えた。
自分は、どうも、こんな時ぶれやすく、
第一印象より、違った自分の動機付けで、選考する癖がある。
もちろん、間違っていなかった事もあるけれど、
間違った事の方が多い。
見る目ないし、言葉を信じすぎるからなのかなぁ〜と、
少し、無責任な自分に出会いながら。
正直、人事とか経営とか、自分に遠過ぎる仕事から解放されたいと思う。
しかし、それは、零細企業といえど、無理な事で付きまとう事らしい。
楽しく、やりたいにきまっているけど、
雇われている方は、やらされているような気持ちの多いよう。
法的には、ただしすぎるが、それは間違っているし、つまらないだけ。
(強要はしたくないから、面接で正直に全てを話すけれど)
無謀な想像力と身勝手な人間性が、月に足跡を残し、
もっと、いえば、地球は今でも平面って事になっていると思う。
話が飛躍しました。
元に戻します。
昨日は、群馬現代美術館で行われる、石内都さんの展覧の色校チェック。
テストは良かったけど、初校は、重過ぎる。
プリンティング・ディレクターが、男のせいなのかな?
浮遊するようにと、全部やりなおしをお願い。
そして、今日は、北島敬三さんの色校正。
こちらも、苦戦しているが、光は見える。
紙、ニス,その他の原因で、本来頭の中の理屈を直訳しても、
全く通じないことを、感じる。
個人的なことだが、いつも、プロセスを共有している間柄から出来ると思うが、
本の、刷り出し立ち会いは、聖域を侵す事と感じから、しない。
代わりに、刷り上がったとしても、年に何度か、全て刷り直し。
面倒くさいからでは、まったくない。
彼らにしか、分からない予測と、この緊張感が、全てを支えている。
繰り返しになるけど、お互いの信頼関係と真剣勝負だから成立すると思う。
刷り出し立ち会いが、デザイナーの最低限のマナーと、ながらく思っていた。
しかし、それは、まったく、違っていた。
支配的だし。
またまた繰り返しになるけれど、分業制のそれぞれの、自分の職業に責任を持つ事。
ドライダウン(数日で色褪せるし、環境によっても様々なので、コントロールは、難しい)という、
とても貧弱なイメジネーションと、幼稚な案件だけで、かたづけけない事。
デザイナーが、良くわからない紙、そして全てが無限である事を託す事。
やはり、もちはもちやだ。
こうして、ラジカルに仕上がりへの不安と、無言に戦うのだ。