最近は。
この10日、劇場や試写会での映画鑑賞が、重なっています。
基本、別に大した事ではないのですが、講師や、読書に、音楽鑑賞に、美術鑑賞、youtube巡りに、また、デザインを中心とした、いろんな会合が重なって、それも全てが仕事から微妙な関係のセットで重なっているので、いつの日からか、正反対だったのに、逃れられない。(内心今も)
あまりに、そのたくさんの主題の触れ幅の大きさに、自分の焦点が追いつかないように感じる。
でも、それは、現在の自分の、おっくうな反応として、しょうがないのかな?とも思っている。
僕は、基本、全方位の節操のなさのような受容体としているけれど、実は、僕自身、ある大きな流れに流されていると思う。
昨日、坂本龍一さんの打ち合わせで、クリエィティブ・ディテクターの空さん、関係者のスタッフの方々と打ち合わせをした。
仕事の内容はさておき、「ここ(僕の事務所)にくると、自分が考えている、何かのプロセスと交差する」とおっしゃった。
僕は、先にyoutubeの資料を見せてもらっていた。それは、逆に僕が探索しているものと、重なっていたりしているので、ほぼ近い映像の山なのだ。
話は少し自分の方へ飛んで、美に関する映像の数々のVJ版に襲われている。
例えば、僕の方は、エグレストンがバッハが好きで、資料に近い映像をみていたり、
ディオールも見ていたり、まして、その監督のデヴィッドリンチは、僕の事務所の窓ガラスでに、実筆のメッセージの不和な楽しげな二人のポートレイト写真が貼ってあったり、先日に拝見した羽良多さんの影響で、ウォーホルにあてた、だれかが編集したMarilyn Monroe on Samuel Barberの編集には、ゾッコンだったり。
そして、今進めている、ヴェネティア・ビンナーレの日本館の、ちょっとしたお手伝いの文字使いも無関係ではないし。
最後には、禁断なのかな?
フーツラとボドニーというモダンタイポグラフィーまで短時間が遡った。フーツラにおいては、今は解けたが、永かった都市伝説のためか、正当評価されない時代が、特にヨーロッパで根深く、そんな事は、なかったという証明はされ、文字も解放されていくのだけれど。
僕の読みでは、ボドニーは、モダンタイポグラフィーの時代のイタリアからのリアクション。
ちょうど、ファッション紙がもっとも輝いていた、VOGUEやBAZAAR。それは、代理戦争のように、アート・ディレクターは、40年代から50年代にかけた黄金のライバルだった、Alexander LibermanとAlexey Brodovitch。
個人的には、貴族でのBrodovitchのロシアからの亡命者であり、おもいっきりレイシスト?に手が挙がるんだけど。彼の人生。その晩年、「この、どん百姓!」という差別用語に磨きがかかり、アルコールに溺れ、鼻毛ぼうぼうで、貴族らしさは何処????と、逆に信じられるのだけれど。だからこそ、理路整然とした、話の上手い物に、魅力を感じないのは、先人の偉大さの影響だと思う。
その、彼の解りやすい、逸話がある。相手は、ロバート・フランク。当時は、今よりも、写真家との駆け引きがあったと聞く。
毎月のように、売り込みの写真家へ宿題を与えたといわれている、Brodovitchは、度々、そんなじゃ普通だから、もっと斬新なのを、もっと、とリクエストしていたそう。多分毒をまき散らしながら。
そうして、ロバートからの回答は、あの、フレームが台形になった、子供たちの後ろ姿の写真。
その後、ロバートは、すこしずつ、ストレートフォト・グラフの二極(絵画の資料ではなく、写真が写真として、リアルな写真として独立する事、もしくは、カメラにしか出来ない妄想の写真の創作を実験的に、取り組もうとする姿勢。)彼は、その間(資料か、ストレート・フォトグラフか)を渡り合う事になったそうです。
そして、今、僕は、ラヴェルを聞きながら写真を見ている。
話はまた、変わって、先週の朝日新聞の日曜版に、大和プレスの佐藤辰巳さんが特集されていた。
やはり、凄い。
佐藤さんからの推薦でArt iTのネット上の公開レーティングなるもに参加していますが、試されているようで、恥ずかしいったらありゃしない。(誤字脱字、言い回しの間違いから、主題からの外れていて。)
明日は、コレクターである宮津さんの出版パーティー。
僕の作品のもコレクションして頂いているので、楽しみ。
また、今日は、森山さんの待望のオリジナルの写真が無事届いた。
素晴らしい!
それは、純粋に自分の目を濁らさないためでもある。
来週は、中平さんの写真が届く。
僕はコレクターではないのですが、気がつくといくつか集まっている。
今は、篠山さんと石内さん、古屋さんに北島さんの作品が欲しい。
なので、(節約の為に)僕にも、お金の問題でいろんな取りきめがある。
昨日は佐藤雅彦さんの紹介で、新しい写真家に出会った。
絶品!
とはいえ、少しものたりない物は感じたけれど、そんな事より、新しい風はこうして始まっている事を教えてもらう。
ある作品が中平さんにとってのパリがあるように、
作品は全く違うけれど、たった、現在(現在って結構永いような)の感じがした。
そして、読むのが遅い僕はばななさんの小説を、ぐっと堪えて?(短いからか?なのに、読むスピードが進みたい気持ちに追いつかない)読んでいいます。