1996年、世界の頂上は、渋谷区鴬谷町だった!
95年、ロッキングオンから、独立後、中島デザインを設立した。
もう、10年以上前だ。
当時の僕は、常にいらついていた。
おこがましいけれど、主に、「カット」を中心にして、自分がやってきたことの評価が、内外価格差が、均整が取れていなかったからだ。
また、なんだか、しらないけど、世界制覇を企んでいる自分もいたし。
その頃の「カット」は、いま以上に、実験溢れるデザインを可能にした場所であって、海外からの問い合わせも多かった。
結果、95年にニューヨークADCから、金賞1、銀賞2、銅賞(ディスティングメリット賞)3、佳作たくさんすぎて覚えてもいない。
という画期的に連発した事が始まりだった。
そして、その後、何年もの間も総なめの時代と呼ばれた。
表彰式のパーティー、自分には似つかわしくない、セントラルパークの南にある、エセックス・ハウスでのなんだか、アカデミー賞のような舞台でした。
業界では誰の応援もなく、野良犬のような無頼派の僕が、ただ、あこがれだけを原動力として、良くここまで登り詰めたと感じ、誇らしかった。
いろんなメディアから、僕以上に僕を知っているインタビューの嵐や、なぜ、僕がここにいるのかを知ってるのかのか良くわからない、何人もの写真家の売る込みの列。普通に巨匠のポール・ディビスと不慣れな英語をかわすしつつ、彼は僕のことを良く知ってたし、画家のクレメンテのパーティーに誘われたり、とにかくニューヨークでの体験は凄かった。
その後は、僕には、池袋へいくより、ストレスが少ない街となり度々おとづれるようになった。
けれど、日本での僕の評価は無風状態。
猛烈に無視されているなと感じたのは、その頃。
まぁ、良く、自分の才能を発見出来ない、目の悪い奴らだ!と、悪口言ってたし。
今では、NY・ADCにみならず、AGI、東京ADC、東京TDC、と全くの本流になってしまった。
どこが最前線かと、世界制覇を企んでいる自分もいたら、そこは、
実は、渋谷区鴬谷町だったのだ。
しかし。。。