おめでとうございます!
古屋さんから、「写真の会」の賞のパンフレットを郵送で頂いた。
この2度目の受賞の素晴らしさはもちろん、受賞によせての言葉に泣かされた。
いろいろ、書きたいところだけど、僕ごときが触れたりすると、たくさんのいろいろな事が、逃げていってしまうようで押さえます。
そして、敬意を持って讃え、改めて、おめでとうございます!
個人的には、このような賞の素晴らしさは、写真機そのものと関係している。本人の意図とは関係なく、ただ、純粋に写真という、実は、孤独であり、この機械を持てば、もしかしたら、自分の人生や人生観さえも、変えてくれるような、ちょっと、エレキギターに似た、発明のようなものがあってこそだと思う。
また、カメラはカタチそのものが、武器に近いし、三脚などは、実際、武器のメーカーと同じだ。
また、シューティングという言葉も同じ。
しかし、なぜ、やわらかいものが写るのだろう?
自分の写真を見て、どうも、違うと思うのは、あたりまえだ。
なぜなら、我々は、通常、鏡を通して、左右逆の自分を見てるからで、他者から見たそれとは、当然異なるからだ。
分かりやすく言えば、自分の筆跡を鏡を通して見る事に近い。(厳密には鏡文字とは違うのだが)そんな違和感を誰もが、感じる。
また、写真かも、ハッセルや4/5、8/10で覗くと、天地は逆になるが、被写体の知ってるその人のイメージに近付く。
かなり、脱線してしまいました。
写真って、一体なんだろう。
その一番の謎は写真家の人生や経験と比例している事は間違いないと思う。
鏡のように、対象より、強く写ると思っている。
そして、自らがえらんだ、対象こそが謎、そのものなのだ。
だから、我々、シロートの写真は、創作とも言えず、全く面白くないんだと思う。
強烈な下痢の中、そう感じた。
そして、その気持ちを持って高橋恭司さんに、新作を見せてもらいに行った。
こちらも、国宝級だ。
(ある意味、写真に対し)純粋であればあるほど、僕らの知っている写真から遠ざかる。
それは、とても、恐い。
デザインはどうなんだろう?
もっと言えば、自分の個人的なデザインはどうであろう?
あまりに、空爆のように攻撃され続け、それでも戦い続けて来た20年。
しかし、当然跳ね返る事は承知で、それでも、勇気づけて来てくれた写真。
下痢の中、恐縮ですみませんが、前や後ろを教えてくれて、ありがとうございます!!!