自虐の詩2 初めてのボーナス
自虐話は重なると思うけど、時間順ではなく、気ままに。
僕が、初めてボ-ナスをもらったのは、働き始めてから3カ所目のデザイン事務所に働いた約1年後の事。
(就職の1回目は、あるアパレルメーカーで、仕事があるのかないのか不明なアルバイトのような感じ。「明日からといコトバを最後に」結果、いつまで絶ってもなにもないので、フェイドアウトに。
次は、正社員として新宿の出版社へ。まだ、出版部門が多くをしめ、今後デザインにも力を入れるとの事で、就職。しかし、全てがシーロートの世界。毎週土曜に社長の友人の代理店の人が来て、レクチャーをするも、なんだかなぁという程度。
試用期間の3ヶ月になる頃、社長に喫茶店に呼ばれ、クビ。
未だにクビになった理由が分からない!
アパート借りたのに。
世は、デザインはまだ、大企業が必要なものと考えられてた時代。デザインというコトバから、日本人の99パーセントはファッションのデザインしか思い当たらないろう風潮でした。)
で、3回目、たった4人でしたが、デザインのプロダクションに無事就職。
なにも分からないが、スポンジの用に吸収し、体力もあまりにあまているので、徹夜好きでガムシャラに働きました。帰える理由もあまりなく、ただただ、のめり込みました。それに、今はほとんど付き合いがないけれど、外部のプランナーやら、カメラマンやら、コピーライターの人達に、彼等の自慢話と引き換えに、居酒屋へ連れていってもらい、いろんな食べた事のないものに出会いました。そして、話しは、ほとんど何も、信じず(笑)
ボーナスは、半年毎と思っていた。
その日と聞かされていたので、妙に嬉しく、同僚に、封筒の中に分厚い紙束をお札に見立て、コインも少し入れて、ドッキリなんかをした(笑)
そして、社長が現れ、封筒と簡単なコトバをそえて、少ない社員に手渡した。
僕には、コトバも何もなかった。
あれっ????と思った限り。
社長の後ろ姿を良く覚えている。
その半年後、初めてのボーナスをもらった。
確か、7か、8万円だった。
税引後、6か7万円。
嬉しかった。
当時、世田谷線の若林の小さなアパートに住んでいた。
その帰宅途中、いきつけの(まずうまのチェーン店)ラーメンやへ行った。
いつものカレーラーメンを大盛りに奮発して、チャーシューや餃子も付けた。
お金は財布で払い、帰って、ボーナスの袋を確認をしたら、なかった!!!!
なんてこった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
封筒を最後に見たのは、ラーメンやだった。
勘定をする時、袋から出すべきかと、ポケットを確認をしたからだ。
帰宅した後も、道中をさかのぼり、懐中電灯で必死に探したが、なかった。
もう、絶対あると思っていた、ラーメンやには、届け出はなかった。
「誰かひろって持って行っちゃったんじゃない??????」
店主の普通の返答。
なんてこった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
多分、ホントに奇麗な店で奮発していたら、きっと、こころの奇麗な人が、届け出してくられろうと思うのだが、後の祭り。
借りていた少しのお金とか、なにやらを遅らせてもらった。
僕は、お金は怖いものとして教育されて来た。
その後も、こんな事件の度に、自分を嘆かわしく思う。