2007 年 4 月 5 日
ローリング・ストーンズ公式Tシャツ!を2種デザインしました。
キャップもあります。
ミックジャガーが自らセレクトしたそうです。
こんな事、普通ないので嬉しい!
参加者はいろいろな方が参加しているようですが、僕のを買って下さい。(笑)
http://www.buddyz.co.jp/nakajima.html
それと、浅葉克己さんからの指名で、デザインアソシエーションを通し、「東京デザイナーズ・ウィーク・イン・ミラノ」に作品を出品する事になりました。
とても、巨大な円筒でのデザイン。
会場はミラノのPIU ARTPOINT VIA TOTONA 27,MILANで、会期は、4/18から23日まで。
僕は残念ながら行けませんが、機会のある方はぜひ。
今日は夕方から、シャネルが企画したエリオット・アーウィットの写真展のプレ・オープニングに向う事に。
彼の写真は僕に刷り込まれているので、選ばれて光栄。
そして、本人も来日するので、楽しみ!
で、僕は何故呼ばれているのかというと、いろんな著名人の片隅でちょこっと、コメントを書いています。
http://www.chanel-ginza.com/
ギンザのシャネルの4階のネクサスホールに入って検索して下さい。
また、写真展、明日から1ヶ月なので、行って下さい!
なんだか、インターナショナルのイケメンみたいだな。(笑)
カテゴリー: Diary | Comments Off
2007 年 4 月 4 日
季節が変わった。
大概にして、それはとても良い事だ。
この春の光を見てるだけで、子供ぽいけど、はしゃぎたくなるし、からだあの内側からしみ込むように変わっていく。
ホルモンも関係しているんだろう。
今日は朝一から、石内さんの写真集の校正で勢揃い。
石内さんの繊細な写真を、PDの郡司さんの職人芸が、発揮される場面。
儀式のような最も緊張。そして妥協のない注文ばかりの、大人の時間。
テスト校から、いままで、自分たちの信じる方向性へ向かい、たくさんの労力を使ったが、多少の直しは出た。
写真は良くデザインですぐ壊れる。
デリケートだから、しかたない。
壊れないように、しかし、自分の痕跡をかすかに残すのが、写真集の作り方。
僕はそう思う。
早く仕上がりが見たいな。
ちなみに月末から。横須賀美術館で、新作が発表されるようです。
みなさま、足を運んでください!
夕方から、坂本龍一さんの事務所の仕事、後藤さんとの仕事の仕上げが少々。
NYの長い友人の編集者と雑談、中村さんへメール。
夕方から、パリの取材の原稿が舞い込み、たった2ページなのに、『時間内に、やれる事はやる事」のような内容と、凄い質問の量に、びっくり。
彼女たち、僕と同じAGIのメンバーなんだけれど、返答を書くのがきついなぁ〜〜〜。
カテゴリー: Diary | Comments Off
2007 年 4 月 2 日
朝一から、ある手続きで都庁へ行った。
今回は、用意する書類も万全だ。
駐車場に付くと、いつものようにまた、迷うかなと思いながらも場所確認。
いままで、とんでもない時間を費やす事が多かったから、今日も忘れずにと。
で、ある書類を作りに行ったのだけれど、万全だったはずのものがひとつ足りない。
きちんと用意したのにもかかわらず、あるはずのものが1点、鞄の何処を探してもないのだ。
こういう事は良くあるので、気持ちはまたかという程度の落ち込み(笑)
ちょっと動いて再度作り直した(疲)
で、正式に申請する書類を書くのに、何度も失敗。
やっぱり、こういう事は良くあるので、気持ちはまたかという程度の落ち込み(笑)
でもなんとか、終わった。
帰り、駐車場へ行くのに、止めていたいた場所の事より前に、どの階だったが、分からなかった。
というより、駐車場が、3フロアもあるとは全然頭になく、ただ、混乱。
その間、駐車番号も数字も忘れてしまい、結局、悲しくなる程、広い3フロア探した。(泣)
探しながらも、そういえば、最近、良く歩けるようになったと感じた。
先月までは、駅までが一杯いっぱいだったのに。
神のご加護か?????
そんなわけない、ただの自爆と物忘れが招いた結果でしかない。
事務所に戻って、一仕事。
そして、時期せまるカットの打ち合わせ二始まり、写真家の清野さんや編集者の姫野さんとやりとり。
夕方から、パリ在住のあのファッションフォトグラファーのサエグサ・サトシさん(あえてカタカナ)と、あるところで打ち合わせ。
まってる途中、ミュージシャンの信近エリちゃんと偶然是会い、お互いビックリ!
自信が裏付ける奇麗さが漂っていた。
久しぶりにあうので、なんだか、恥ずかしく、嬉しい。
ちょっと、遅れて来たサトシさんの正体は、15年程前にパートナーのミズタニ・ミカさんと、強烈なデビューを飾り、当時確か、タイフーンと呼ばれていた。日本人初のイタリアン・ヴォーグの表紙のレギュラーをつとめ、あらゆるファッションページを飾り、現在もヨーロッパや日本のあらゆるメゾンや、ビューティーにたずさわっているスーパースター)
サトシさんとは、12〜3年の付き合いになるけれど、顔を合わすのは、何故か今回が2度目。
電話では、何度も話してるし、携帯にまで、連絡するする仲なのに、変だ。
今、彼の家族はパリ、僕は東京という事もあっての事も大きいが、もっと何か違う何かで呼び寄せられている。
また、彼自身がもう、日本人では、ないように見えた。
言葉だけが、日本語だったけれど、からだの動きも含め、フランス人のよう。(エレガンスなのに野蛮(イイ意味で)。料理に関係してるのかな?)
あらゆる成功をおさめているのにもかかわらず、次へ行く方向をクンクンと動物的に自分の行くべき方向を探しているよう。
カットでジャン・レノを撮ってもらったのが付き合いの始まりなんだけど、そういえば、幻のコンポジットの創刊号の「ディーライト」のページだけのレイアウトを頼まれたりもしたっけ。
今日会ったのは、彼からのアプローチから。
ほとんど、世界の全ての素晴らしいアートディレクターと共にしているのに、僕にお声をかけて頂き、ただ光栄なばかりだ。
でも、なんで俺なんだろう???
そうそう、日本でのマネージャーの水谷さん(パートナーのお姉さん)の顔や目が、また素晴らしく、うっとりしてしまった。途中、サエグサさんの言葉も聞き取れない程、見入ってしまった。
頭の中で、昨日のサクラと重なっていた。
で、その打ち合わせの帰り、駐車場で、また自分の車を探しまわってしまった。
うっとりしてる間に、肝心なところを忘れてしまったからなのかな?
午前中と一緒じゃん(泣)
1フロアしかないのに、警備員にストーカーのように付きまとわれて。(泣)
カテゴリー: Diary | Comments Off
2007 年 4 月 1 日
家族とワンちゃんを連れて、目黒川の花見をして来た。
通勤の度に横切るのだが、それにも増して、長らく、引っ越しの度に、目黒川近辺をうろちょろしていたが、ちゃんと、花見をしたのは、今日が始めて。
まず、こんなにサクラ凄かったっけ?と思うのと同時に、その盛り上がり方や、人が多くてびっくり。
沿道に屋台やら、いろいろなお店が賑わっていた。
ゴザを広げるスペースもないので、いわゆる花見の光景とは違うのだが。
そして、目黒川沿いがこんなに発展してたのを知ってびっくり。
去年は足を骨折していたせいか、花見どころではなかったので、そんな事も関係してるのかな。
帰って、洗車して、床屋行って、いろいろかたずけてで、今日もなんだかバタバタ。
それでも、年末からの溜まりに溜まった用事がかたずけられなく、ひっぱったまま。
せっかちな性格なので、こんな状態が続く事に耐えられないんだけど。
ほんとは、散らかったところが落ち着く性格でもあるので、そこが問題かも?(笑)
カテゴリー: Diary | Comments Off
2007 年 4 月 1 日
今日、たくさんの仕事を終えた後、最近の忙しさを考えたら、そのまま直帰して、普通に寝てりゃいいのに、家族を連れてカラオケに行った。
(花見は明日にとっておいて)
行動は間違っていると思うけど、何か、特に、この季節もあってか、ボロボロでも、家族との共有した時間を持たなきゃと、思ったのだ。
こんな時、今は家業はすたれてしまったけれど、そのときのような、自宅兼、事務所というのも、アリなのだろうなと、ふと思った。そうすれば、家族とももっと、ちかくにいれるし、解消出来る事がたくさんあると。
まったく、絵空事なんだけど。
ただ、仕事が来なくなるんじゃないかという、初歩的な理由も大きく、実行に移せないだけなんだろうと思う気持ちがただ、ブレーキにしてるだけのようで。
ちょっと、自慢ぽいけど、実家は、元々、和裁を家業としていた。
祖父は名人と呼ばれていて、神業を持っていて、僕が生まれる前は、日本橋(呉服箸でないところがミソ)で修練して、三越経由で、指名で、昭和天皇を初め、皇族から、財閥の仕事を請け負っていたそう。
商売が上手ければ、現在のエルメスとまではいかないが、それなりの方法があっただろう。
この辺の才能のなさが、血かな。(笑)
散財してしまったそうです。
理由は、あまりにもプレッシャーが大きく、特に天皇の(通常、着物は来てなかったというが、実際はそうでなかったらしい。型紙も叔母のところへしています)着物を縫うというのは、当時では、神に触れるような事だったそう。
納品が終わると、後先考えず、ギャラより多く呑んでしまったり、金魚屋の金魚を全部買ってしまったり、貨車で運ばれて来たニワトリを一両分買ってしまったり、自宅の前でいきなり、学(小卒)や知識もないのに、マルクス主義を沿道でアジって、警察からすると勘弁して欲しい行動に走ったり、乞食が普通に一緒に生活してたり、身寄りのない子供を、自分の子供達と同様に、一緒に育てたりしていたそうです。
(まったく、行動に一貫性がなく、ただ、皇族の着物を作っていたという現実が、刑務所へ向かわせなかった岳の話のようで。)
僕の記憶の一部でも、皇族の着物を縫う時なんて、部屋中に白い布で被い、他人は入っていけない聖地らしい感じは伝わってました。
ある時から、東京を離れ、埼玉の田舎に移ったそうですが、それでも、お客は、わざわざ足を運び、どうにか作って欲しいというオーダーがあったそうです。
最終的は、アルコールでこの世を去ったのですが、明治の男は、破天荒で凄い。
良く覚えているのが、針のピッチの強さが一定で」ないところ。
それには、理由があって、着物を着て全速力で走れなければいけなかったそうな。
ある部分が、動かないようにがっちり縫い、ある部分は、ゴムのように機能を果たす縫い方をしていたらしい。
まったく、フォーマルなスーツの作り方と、一緒。
こんな進め方なので、生活費は何処にもなく、あるのは、借金ばかり。
祖母の努力で、普通の和裁をたくさん引き受けて、それを、仕上げる為に生徒を雇い、
なんとか、生計を立てていたそう。
そんな事は僕には出来ないが、将来、自宅兼、事務所というのは、自分が過ごして来た環境なので、将来、いつかはそれが自然に来るかもと考える。
また、僕の血がもっと祖父の影響を受けていたとしたら、北京美大の1ヵ月の講師も躊躇わずに、話も進めただろうし、僕が背負っている、様々な大変と感じる事も軽々とやってしまうのだろう。
また、祖父に商才があれば、僕はいまごろ、「華麗なる一族」だったかも。(笑)
もしくは、新しくそんな商才が僕に芽生えていたらら、また違った人生が待っていたと思う。
(そんなの、うらやましくないけど。)
それでも、ある時期、ニューヨークでは、突風のごとく現れたデザイナーで、名が通っていたし、現在も、ロンドンでも、イタリア、中国、スェーデンでも、妙に拡大解釈にしか思われない程、人気があったりする。
また、MoMAを始め、世界中の美術館や、博物館からパーマネントコレクションに答えてきた実績があり、ただ、ありがたいと思っている。
しかし、ホント、評価への、内外価格差が良くわからない。
商才はなかったとしても、ただのアホが良くここまできたものだと、自分でも思う。
血が濃いかなぁ?
まぁ、実際には、ほとんど、興味のないところだけれど。
エイプリル・フールだけど、嘘じゃないよ。(笑)
カテゴリー: Diary | Comments Off