2007 年 3 月 5 日
昨日、箱根から帰って来た。
一人で行くのと違い、家族で出かけると大変だ。
気がつくと、危ない事ばかりしてるんで、ヒヤヒヤする。
大体、二人して、ガードレールの上に立つのを止めてもらいたい。
車道に落ちたら、どうなると思っているんだろう。
結局、すねに傷を作っていた。
疲れて帰って来たはずなのに、夜中、なにか、歌が聞こえて来た。
下の子が手で、何かを形づくって、歌っていた。
もう、寝なさいと言っても、聞いた事のない歌は終わらない。
最近の子は、睡眠時間が全く、僕の頃と違う。
僕が子供の頃は、夜は、6時からで、8時か9時には眠っていた。
しかし、最近は、うちの子に限らず、まだ幼稚園なのに、12時前頃まで起きている。
いくら寝るように言っても、大騒ぎ。
8時か9時は、まだ、夕方なのかな?
昼寝なんてしないのに。
僕は、いつもの感じの変な夢を見た。
何故か、夜7時頃の京都の大きな立体駐車場で、料金を支払うカードが薄いプラスチックで出来ていて、機械に入れた途端、割れて動かなくなってしまった。僕の後ろには、何故か、高倉健さん。無言のまま、電話して、管理人を呼んでくれた。そして、別の仕事があるからと、あの感じのまま去って行った! 変わらず、カッコイイ!
僕は、その後に並んで怒っている人達に、ただ、永遠と平謝り。
うなされた。
なんだか、夢なのに、いつも現実からそう遠くないのは、何故(笑)。
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2007 年 3 月 3 日
今日は、下の子の節句。
正式には、4歳なのだけれど、厄難よけや健康祈願が、本来の姿だそうなので、あやかりたい。
明日は、休みがなかったので、近くの温泉に行く事を計画。
足が完治していないし、風邪のため、それが精一杯。
思い出になるといいのだけれど、年齢的には微妙なところ。
下の子は、野生児的な少し乱暴なところがあるけれど、それは、裏返し。
微妙な発言から読み取れるそれは、繊細だから「何かを打ち消す」ような、行動に出てしまう。
いっしょに風呂に入りながら、それをもっと感じなくてはと思う。
明日は曇りらしく、足が足だし、かぜもあるから、一緒に走ったりできないけれど、少しの報告と、ただ、見守っていたいと思う。
一緒にかけずり回りたいと思うのは、普通の親心。
それが出来ない事に、親心がないとはありえないし、ただ、寂しい。
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2007 年 3 月 2 日
風邪の中、子供の幼稚園で上の子には、最後の劇発表会。
代え難い、無償なモノがあった。
彼等の未来を考えると、日本は、どうなってしまうのだろうと複雑な気持ちにもなった。
カタチは違っていても、どこの家庭でも同じだと思うのだが、成長には、想像を超えるものがある。
ここ、何日か、いろいろと、たくさんの出来事が舞い降りた。
風邪も重なり、支えきれなくなりそうだった。
そんな中、今日、石内都さん、姫野さんとの打ち合わせ。
なんだか、気分をかえさせてくれる、気持ちいい風のようだった。
同じカゼでも、このこじらせた風邪とは、まったく違う(笑)
写真集を一緒に作っていく感じなんだけど、これぞ、コミュニケーションという程、素晴らしい時間を過ごした。
そして、イイ歳の取り方だなと感じつつ、自分と照らし合わせたりして、今日もまた反省した。
それにしても、自分は人に恵まれているなと、改めて感じた。
みんな濃く、天才のたちばかりなのだけれど、こんな純度の高い人達に囲まれているのは、奇跡のようなものと感じる。
世の中、こんなに、天才が多いはずがないんだけれど。
不思議だ!
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2007 年 3 月 1 日
ある写真雑誌の依頼で、(ほぼ)アマチュア写真家のランキングの仕事。
実際のところ、一人の作家を好き嫌いで判断するものでもなく、点数差でのランキングというのは、興味のない世界なんだけど、一度、どんなものかという、不心得で参加してみました。
ランキングは、他者が決めるもであって、作品の優劣が、明確な数字とかに左右されるものであると信じている。
しかし、なかなかそうはいかない。
また、評価されないと、すぐ、他者のせいにするところも嫌いである。
(もちろん、そんなこともあるが、他者は大概にして飢えていて、敏感であり、そんな言い訳に付きってられないのだ。)
そんな事もあり、殆ど興味が湧かない。
ただ、これは、特に媒体が雑誌ということもあって、他者がなかなか入り込めないので、
客観的妥当性なるものが、はっきりしないと感じ参加した。
今日も、仕事柄、詳しく書けないけど、審査員が3人で、既にあらかじめしぼられていりところから審査だった。
写真の基本はドキュメント。
その写真が、たいしたものでもないのに、成立しちゃうところが基本的には、変と感じた。
なんだか、古いし。
映画で言えば、富良野映画祭のような感じで、始まる予感なんかより、それ終わってない? というものが多かった。
僕はデザイナーで写真家ではないし、批評家でもない。
責任も持とうとも思わないし、ただ、嘘だけは着かず、思った通りを話す事。
これが、役割だと思う。
(見りゃいいってものでもないけれど)他者の写真や歴史的絵画を見ていないのが、一目瞭然。風景であれば、ニューカラーも知らないし、ベッフィー派もしらないだろう。セットアップで言えばグルスキーもしらないし、ポートレートでいえば、メープルソープもしらないし、ノーファンダーであれば、森山大道もしらけれが、古屋誠一さんも、高橋恭司さんも、野口里佳さんも、米田智子さんも、港千尋さんも、松江泰治さんも知らないのだ。
それは、極端だけど、新人の画家志望の人が、モナリザを知らないとか、ロダンを知らないとか、ピカソを知らないとかとかと、同義語だ。
とくにあったかい世界なんて、ほとんどの全ての人達の家族写真が、机の中に眠っている訳だから、見たくもない。
こんな写真の撮れない、僕ごときに文句を言われたら、それは「おしまいの始まり」か、「リスタートの始まり」でしかない。終わりの始まりなら、その先の美に強烈な意識が必要だけど。
僕は写真が好きで、好きでたまらない。
武器にしか見えないところも好きだし、狙われた側がやっぱり、安全ではないし。
この好きな感じは、病気だとさえ思う。
そして、何度でも言うが、「あなたの目を通して僕がしらない世界を見せて欲しい」という、原始的な初期衝動だけしかない。
帰って、内職のように、自分の本のboxセットを朝まで箱詰め作業。
エディション入れから、サイン。虫の付かない保存用のphの紙の同封から、ステッカー張りから、袋つめ。
朝5時すぎまで掛かったけれど、案の定、終わらなかった(泣き)
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2007 年 2 月 28 日
昨日、午後、北野武さんの撮影。
雑誌「カット」の映画のプロモーション。
前回の「座頭一」雑誌の撮影で、知らぬ間に2年経っている事を判明。
あの時は上田義彦さん、でした。
ライカでだった。
なつかしさなんてない。つい最近の事にしか感じないから。
今日は、「小林響さん」。
撮影の前、儀式のように。「響のトライブ」の写真集を見てもらう。
被写体にたいする扱いが、今までと、相当違うからと思ったから。
武さんの、撮影は随分やってきたけれど、やっぱり思い通りに話せない。
写真家は小林響で正解。
インタビューまえの帰り際、武さんへ、僕の去年出た2冊の本をプレゼント。
どう感じるかは、良くみてくれるかな?
カンのいい人だら、楽しんでくれるであろうけれど、興味深々。
ニュース!
知らなかったけど、一昨年かな?
ニューヨークTDC(タイプ・ディレクターズ・クラブ)の審査委員賞が実は、ニョーヨークTDCの最高賞のようでした。
そう言えば、7〜8年前、審査員を頼まれて、審査員賞が最も重要なコンペと言っていたっけ。
忘れてた(笑)
授賞式も行けなかったし、年鑑の購入もしてなかったので、重要性を今頃になって判明しました。
これ、(英語も話せない)文盲の僕なのに、ニューヨーク、東京と連続でTDCの最高賞。
やるな、俺。(泣)
筋がいいからしかたないか(笑)
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