2007 年 4 月 22 日
フランスからわざわざ、Étirnne mineurさん夫妻が取材に来た。
http://www.a-g-i.org/about/member_work.php?id=318&nationalgroup=France&country_code=fr
彼は、フランスのAGIのメンバーでもある優秀なデザイナー。
(AGIとは、1950年に、元々フランス人の3名と二人のスイス人が結成し、現在はスイスを拠点とする、世界で最も著名なデザイナーの集まりの団体です。
毎年、世界で大会を開き、その国の文化や表現者を訊ねる事も、
ひとつの役割で、入会には、自ら手を挙げることは出来ず、メンバーからの推薦に始まり、少数の審査会で厳選に新人が選ばれるらしい。
そして、自ら、世界のエリートと呼ぶ、最高峰の団体です。
だいたい、世界で日本人が20人くらいしかいない少ない団体なので、想像もつくと思う。
で、なぜか、それも、知らぬ間にスターに囲まれて僕もメンバー。
98年に一発当選して、もうすぐ、10年になる。
メンバーの当初は、世界最年少で選ばれニュースになったらしい。
そして、良くわからないが、今は、若手ながらもすでに中堅らしい。
だからかな、去年も、新人を決める審査員に指名が掛かったり(日本大会なのに、骨折で出来なかったが。今頃何故か、去年、葛西薫さんが入会してるのが、おかしいなと思う。裏を返せば、それだけ、入会するには、それだけ大変な団体で、僕は、たまたま、いるだけと言えば、辻褄があいます)
今年も、知らぬ間にそのメンバーに誘われていて、かつ、初日のランチで1時間もスピーチをする事になっているらしい。
まず、英語話せないし、スケジュールは、カットのもっとも忙しい時じゃん!
僕は、スポンサーを困らせる程、おしゃべりだけれど、内容はまったくないので、どうしよう?????
過去の、しくじった話をしてもなぁ。(泣)
で、そのメンバーでもあるÉtirnne mineurさんからの取材。
なんだか凄いぞ!
来日の理由は、アジアの本とDVDを作る為と見聞を広げる為だとの事。
(数字に、ちょっと間違いもあるかのしれないけれど)まず、日本に来て、たくさんの取材後、京都、大阪、名古屋へ行くらしい。
その後、中国、韓国、タイを初め、アジア諸国を3ヶ月かけて回るらしい。
彼の年齢は僕とほとんど変わらず、夫婦、通訳者、そして、子供(4歳)を連れて迷いながらも重たい機材を抱えやって来た。
驚くのは、彼は4人の個人事務所を経営しながら、そして奥さんは、フリーでデザイナーをしながら、子供は、幼稚園を休み、となりのトトロをみながらやって来た。
4人の個人事務所を経営しててって、俺と境遇一緒じゃん!
「俺には、出来ネェよ!〜
だって、俺には、PCできぇよ〜
毎月のレギュラーの仕事、目を反せないし〜〜〜
俺は正直。パリ嫌いだよ(方向音痴なので、自分がどこにいるか、結構行ったほうだけど、今もわかんねぇし(笑)〜
トイレ,ただじゃないし〜。文字よめないから、ニューヨークでは通じる、味音痴が、ばれるし〜。
ロック掛かってないし〜。(最近はダフトとかあるけど)
何より。どうすんだよ、事務所?!
奥さんも大変だよ。
いきなり、ソニーのプロ用のなんとかという、大きなカメラで、映像を撮りだよ!
子供も、デスクトップで、もう、何十回もみてるらしい「ちなりのトトロ」みてるし。
でもって、うちの子の妹の名は「メイ」は、同じ名前で、年も同じとと言った(笑)
そして、君も。
でも、すげぇな、トトロ。
なんだか、楽しくて、予定の時間をおおはばに超えてしまった。
そして、箱根の日帰り温泉に、みんなで一緒に行くかもしれない事に。
奥様はソバに興味深々だった。
なにはともあれ、僕たちのその瞬間は、お互い無防備で、ただデザインだけを通して、
何の利害もなく、過ごせたところ。
そして、彼がなんだか異様に興味を持つ、現在の東京をいつわりなく、話せたところ。
少しでも役に立てて、良かった。
なんどもいうけれど、創作者は、言葉が通じなくとも、作品通しでコミュニケートするのだ。(渋谷陽一談)
フランスは、先々週、TDC の授賞式の2次会で、「M/M」といろいろ話したことや、フランスの美術館や博物館が、なぜか僕の事を知っていて、問い合わせがくるから、ここのところ、身近に感じる。
彼等は、自分の興味にだけを信じて動いている。
そこは、僕も一緒。
違うのは、運営を、僕は、ギリギリで行っているので、一歩も事務所から踏み出せない。
彼等も同じかもしれないが、方策を練って、簡単にそんなことを飛び越えてしまう。
これが、僕の限界かな?と思う。
しかし、AGIがまっている。
オランダいくのかな??????
で、一夜明けて、サトシさんと、東京のあるホテルで打ち合わせ。
先日も話したが、彼はもう、フランス人。
かといって、譲り合う事は絶対しないだろう。
出来るだけの事以上をやって、僕は、彼が行って来た歴史を、高水準、高品質にして、また、彼等周辺の人達も納得させるだけの事に邁進すれば良い。
時間もたくさんある。
僕は、いつものように試されてると思うから、襟を正して普通にやろうと思う。
もっとも重要なのは、お客はもちろん、彼に新しい感動を印刷を浸かって、しびれさせるところだ。
なんたって、彼は、日本人の、誰も出来なかった素晴らしい地点に、根拠のない自分達のあたしい美意識だけをもって、ファッションの頂点に到達したのだから。
カテゴリー: Diary | Comments Off
2007 年 4 月 21 日
と、いつも、思いながら、弱いので、簡単に呑まれる。
しでかしてしまった経験談をひとつ。
前も書いた事がある気がするけど、どうせ、まともに読んでる人はいないと思うから、まぁいいか。
ある、ミュージシャンのロケで、CDジャケットのADとして、スチールとPVの監督での出来事。
1日目が終わった後、ロケバスでの移動が長く、途中ドライブインでワンカップをたくさんかった。
バスは揺れるし、山道だったから、良く回った。
気がついたら、冬の網走の駐車場で、ひとり。
ADなんだけど。
寒さのあまり、目を覚ましたら、みんな日本食屋で夕食を食べていたのだ。
それも、ウニ丼やら、いくら丼やら、海鮮丼やら、めったに口に出来ないものを。
結局、時間がなく、待ってもらえず、誰かが残したものを、急いで少し口にした。
オレ、ADなんだけど。
ホテルに着き、駐車場の下で最後のカットを回そうと考えた。
その駐車場は高台にあって、闇の中、下まで走っていった。
そしたら、ハリガネが張ってあって、足をすくわれ、膝から、着地した。
変な音がした。
そして、落ちた所が、沼のなかの岩の上だった。
(針金は、立ち入り禁止の為にあったと次の日分かった)
その日のロケは中止。
みんなが、うえから 笑っていた。
その後、着替えてからみんなで、温泉に行く事になった。
(なぜか、ホテルは、巨大な「聚楽」のようなところ)
ホテルの部屋へ入ると、血だらけの膝に、小石が何十個も刺さっていた。
こういうの慣れてるけど、やっぱ痛い。
でも、みんなが温泉で待ってるので、急いで取った。
浴衣に着替えて、温泉についたら、まだ誰もきてなかった。
急ぎ過ぎた。
呑まれて眠かったので、マッサージチェアへ。
そこへ、みんなが、遠くから大爆笑で現れた!
なぜなら、はだけた浴衣は血だらけだし、なんか事件にしか見えなかったそう。
で、温泉へ。
おおきな温泉だからか、湯煙が凄い。
響く音も良い音。
普通に「良い湯だな」を口ずさむ。
で、湯につかり、ゆったりしていたら、後の入り口から入って来た、中年のおっさんが二人で、ひそひそ話を始めた。
僕は気になって、普通に振り返ったら、『うわっ!』って言って出て行ってしまった。
憶測だが、その頃、僕は長髪の金髪だし、膝が血だらけだったしで、
多分、聚楽のようなホテルだから、おっさん達は、『外人の踊り子』が入っていると勘違いしたのだろう。
しかし、僕が振り返ると、そこには、『外人でもないし、女でもないし、疲れきって血を流してるブサイクな男がいた」ので、びっくりしちゃったのだろう。
それに、湯煙が凄かったから、良く見えるまで、時間が掛かったのだ思う。
その後、みんなで女湯を覗こうとしたが、足が痛くて、見れそうなところまで、よじ上れなかった。
また、血だらけの浴衣に着替え、みんなで、コーヒー牛乳を呑んでいたら、知らないおっさんたちは、みんな同じ顔になって、なんか、避けるように温泉に入らず逃げていった。
酔ってたので、そりゃそうだよなぁとだけ思った。
次の日のロケ。
足が痛くてみんなに、追いつけない。
ADなんんだけどなぁ。
で、途中トイレに行きたくなった。
トイレは近くにあるのを確認済みだったけれど、足がいたくて、半分程間に合わなかった。
小で良かった。
トイレからでてきたところを、みんなに見られバレた。
なんか悲しい思いでロケバスの中で着替えた。
PVもジャケットもカッコイイのが仕上った。
でも、舞台裏は、こんな感じとは、誰も知るはずがない。
もう、15年ほど前の話です。
カテゴリー: Diary | Comments Off
2007 年 4 月 21 日
シュウ ウエムラと、綿密な打つ合わせ。また、
また、「講談社現相新書」のマイナー・チェンジを考える。
背表紙の色が、ある色によって退色が激しいからです。
売り場に立つ度に、売る気あるのか?
とデザインしたものなのに、思ってしまう。
そして、今日は始めてに、生の歌舞伎を見に行く。
篠山さんと雑誌「我楽」計らい。
多種の歌舞伎の形式を、すこしだけ、一部かじっただけだけれど、目に移るものは凄い。
大雑把にいえば、歌舞伎座は古典で能舞台に近い印象に思っていたが、古典を残しつつも、進化し続けるエンタレインメント。
ある種パンク。
それは、もともと歌舞伎がもっていた本来の姿勢。
今頃知るなんてと、反省。
3人で,篠山さんの隠れ家らしい、オイシ過ぎるお酒と食事を堪能。
歌舞伎座で買った、かみさんと子供達にみやげを手にして、帰りのタクシーで「和」について,思いを巡らせる。
自分のルーツとは、少しカブったり、かけ離れているけれど、あのパンクな事は、忘れちゃいけないと感じる。
カテゴリー: Diary | Comments Off
2007 年 4 月 20 日
今日は、アーティストの島袋(シマブク)さんとのメールと、スタイリスト?の北村道子さんとの打ち合わせを中心に動いた。
島袋さんは、世界中の辺境を動き回りながらも、現在は、沖縄美術館のための新作の構想を練っている。
曰く、30代で、作るものと、それ以降は、違うと思うからと、信念と言ってもイイ覚悟が入っている。
僕は、彼が沖縄での制作途中に、どううしても、その現場を見たかったのだけれど、GWの為にチケットが取れず、断念。
悔しいけれど、秋に行われるオープニングには、必ず行く。
そして、家族との旅になるのいろんな情報を教えてもらった。
アーティストに、こんな話を訊ねるのは、かなり間違っているけど、彼の血筋が元をたどれば、沖縄だからか、甘えてもいいかな?
沖縄は、よしもとばななさんを初め、行かなきゃいけないような強力なお勧めポイントである事を、長年味わって来たので、やっと、出不精な僕も、覚悟を決めて行こうと思う。(笑)
実際には、成田へ着くころには、たどり着くほど近いから、大袈裟だけれど。
基本、どこにも行かずに、閉じこもっているのが好き。
それでも、重い腰を持ち上げて、少ない回数だけれど、少しかじった。
結局、東京と変わらない都会のホテルから出て行こうとしない自分。
(自然は濃く、虫や肉食獣、ムラ社会が怖く、人類は、そのその濃さを恐れ逃げて来たところえ、町をを形成したのだろう。と聞く)
少し、話が飛んで、シマブクさんへ、先日、ちょっとした相談した。
はしょると「下の子が嘘つきで〜〜〜〜」というような内容。
しかし、彼の返答は、「嘘をつくというのは、かなりドリーマーなんですね。
クリエーターの素質が、あるんですね。」と来た。
僕は、僕が彼の事を大好きな、その、魔術?(魔法?)に掛かった。
何でも、ポジティブに、そして面白く考える脳。
だから、アーティストになる事が運命づけられているのだろう。
何冊も本が出てるから、買ってね!
(彼の所属する、「シューゴアーツ」へいけば、必ず手に入れられます)
http://www.shugoarts.com/jp/index.html
その後、いくつかの仕事を終え、北村さんとの打ち合わせ。
具体的な仕事の内容は話せないけれど、それより、彼女からの脱線が凄い。
僕もその辺は自信がある方だけれど、太刀打ち出来ない!
話せるところで、また笑えるところで言えば、
「一万円と百万円の違いが分からない」とか、
凄い有名で世話になった人が挨拶に来た時に「あんた、誰?」と聞いてしまったとか、
SFのような意味分からん世界。
かなりイイ意味で狂っている。(笑)
大体、過去のものは、全部捨てちゃうし。(国宝級なのに)
あまりにまっすぐすぎて、会うたびに、国宝と思う。
機械に名前付けるとイイよと言われ、考える事にした。(笑)
けれど、こんな愛されてる、妥協と言うことばさえ知らなく、にもか交わらず、台風のような仕事が来てもそんなことより、孤独な一本道をたどる。
何度も生還をしているのにもかかわらず、頼らず、自分だけで辿る。
彼女は好きじゃないかも知れば生けれど、普通に創作物を残すべきだと言った。
間、ロッキングオンの渋谷陽一さんと新しい仕事での打ち合わせ。
後藤繁雄さんと電話で、進行中の新丸の内のある仕事の打ち合わせ。
東京TDCの照沼さんがメルボルンから帰って来て、そのうらやましい興奮をメールで返答。
姫野さん、大和田君、青幻舎の社長へお礼。
よしもとばななさんと、ある仕事?のやりとり。
その合間、友人であるTOMATOのジョン・ワーリッカーから年始に届いた、強烈な創作のリアクションを真剣に考える。
さらに、オランダのジャックという、古くからの友人の優秀なデザイナーから、年末のAGIのオランダ大会について、相談される。
来週は、アメリカから、ある女流写真家との約束。
言葉も、気の効いた場所も知らないので、おろおろ。
その他、もろもろ、約10件の電話での打ち合わせ。
夜から、クリア本のボックスセットの梱包を、一人で4時間の作業。
ほとんどが、シビアだけれど、幸せな光景だった。
でも、現実を忘れちゃいけない事件の連発で、目を凝らしていなければと考える。
ここ何日かでも、幾多の死を体感した。
のうのうと生きているけれど、僕らは、その犠牲の上で成り立っている事を、きちんと、知らなければいけない。
また、それらのが、ほとんどが世界となんらかのカタチで繋がっているから、我々の世界は、無関係でも非現実でも、ないと思う。
表裏一体。
コトバでは、簡単なのだけれど。
カテゴリー: Diary | Comments Off
2007 年 4 月 19 日
帰宅後、例の「CLEAR in the FOG]のコンプリートBOXセットを梱包しています。
一度、終わらせたのですが、気が変わり、印刷にまつわる、原始的だけど、新しい表現も取り入れて、再度、梱包作業をしお直している。
始めて行ったより、どうしても時間が掛かる。
(まぁ、みたら、どこが?と思うかもしれないけれど)
以前、梱包っしたように、ならべる順にセットして、作業がオートマチックに出来たらいいけど。
たった50セットだけなのに、一日10セットが限界。
そして、腰痛の嵐。
完璧な予定は経てていないけど、取りあえず、うち、10セットをウェブで販売。
しかし、こんなに、手間ひま掛けても、超赤字。
展覧会でフェラーリが買える程だったのに、さらに、自らクビを締める。
「どうせ、フェラーリ売っちゃたし、ローンものこっているのだけど。」
どうして、そんな事をするのだろう?
自分で値段設定してるから、黒字に値段を設定する事は可能なんだけど、掛かった金額をそのまま定価に反影させると、現実的ではなくなってしまう。
例えば、アイデアの特集の時の製本や、あの高岡さんにや手伝っていただいた活版印刷の2種のオリジナルや、ボックス、保存用の和紙のようなペーハー紙だけでも、定価はとっくに超えてしまう。
そこへ、クリア本にB4のオリジナル印刷9枚。
本の最後にオリジナルの切手まで、アホのようについている。
その昔、アート&クラフト運動があった。
僕は、どこかその幻影を多少なり共追っているような気がする。そして、いまは、また別のもっと過酷な時代。
だからこそ、自らの態度を、示さなければいけないと思っている。
この出来事の事の始めは、2年半前にgggからの、オファー。
この世界では、こんなラブコールはない。
そして、それは孤高のプロジェクトに変わっていった。
その2年後のgggでの私財を投げうった展覧会。
そして、任務は終わったわけだから、やめればいいのに、裏テーマびして、現在の印刷を検証した。(それまで、香港へ行ったり、いろいろと、10年あまり、東京TDCの理事に携わっている事が多きかったと思う。)
その後、規模は小さいが、京都でのリミックス展。
アイデアへのセルフッリミックス。
Tシャツ。
そのたもろもろの事が、ゆらりと力が抜けて今に至った。
僕自信は、ダメな自分にだけれど、グラフィックにしぼるなら、生きていけるかもしれないと決着をしたかった。
gggでの展覧会では、見てくれている人(他者)は、ちゃんと見てくれて勇気づけられた。
祭りのようだった。
(逆に、見もしないで、なにか、にちゃんねるのような、企みばかりだけの、たくさんの酷い人も後から知ったし、凄く東京TDCに接近したいくせに、陰で侮辱する人も知った。それは、社会ともいえると思う。)
僕は、これらのリアクションを自分の出来る範囲で闘っている。
それが、このBOXセットの正体だと思っている。
(だから、多少汚れがあったり、ぴったり合っていない事も、必然だし、誰かが否定しても、どうでも良いと思っている。だって、僕は冬の北壁のチョモランマをめざし、彼は夏の高尾山を目指してるから、言葉は通じる訳ががない。)
まぁ、どうでもいいけれど、将来僕の魂のような本は、いくつ残っているだろう?
(買って頂いた方は、残ししてくれるのかな?)
それでも、やはり、この世界の特に印刷は、大量生産、大量消費によって支えられている。
運のイイ事に、(オーディションはあるけれど、)僕の事を懇意にしてくれ、そして、永久保存にしてくれる美術館や、博物館に声をかえて、できるだけ長い生命をと考えている。
でも、なぜ、日本の一部では、彼等のように僕の小さな力や抵抗を、扱ってくれないのだろう?
やはり、「経済を通して金を産むのが、デザインの本来の役割りとか役に立つものが優先順位が高いのは、かれらの発言から感じる。」
それが、この国の、ましてや文化を抱えている民度や尺度だと思う。
(海外の彼等は凄いぞ! そういえば、今度の土曜はフランスの雑誌の取材だ。まぁ、俺は酷いけど。)
カテゴリー: Diary | Comments Off